MENU

【AI音声付き】親子で親子で学ぶかんたんお金の教育vol.5「日本のお金の歴史後編」

親子で学ぶかんたんお金の教育へようこそ
今回は日本のお金の歴史後編です

江戸時代のお金と言えばキレイな小判よね!

丸くて小さい銅のお金もあったよ

銀のお金もあるし江戸時代って色々な種類のお金があったのかしら?

私がお答えしましょう

目次

江戸時代のお金

金山銀山から海外貿易まで独占した徳川家康

これによりその後の260年に渡る長期政権が生まれます。

豊臣家を滅ぼし大坂を直轄地(ちょっかつち)にしたことで商業の中心を再び大坂にします。
政治は江戸、商業は大坂という安定な体制が確立。

直轄地とは、直接幕府がその街を動かしていくことです

金山銀山での収益、そして大坂を商業の中心に据えそこから得る税金
この二大収入により徳川幕府の財政は盤石(ばんじゃく)となります。

盤石(ばんじゃく)とは、安定してゆるぎない・がっしりと固定されていて動かないという意味

ところが、徳川家康が亡くなってしばらくしてから二大財政の1つ、金山銀山から採れる量が年々減っていきます。
特に金山から採れる金の量は、三代将軍家光のころから減り始め5代将軍綱吉のころには、採掘の穴が深くなり湧き水があちこちで溢れ当時の技術ではそれ以上掘ることは不可能です。
これにより歴代将軍たちは幕府の財政難が最大の問題となり頭を悩ませることになっていきます。

金が無くなる?小判が作れなくなるの?

金や銀が採れなくなるも大坂からの税金や海外貿易による収入は安定していたので、なんとか江戸幕府は続いていくことになります。

江戸時代の三貨制度(さんかせいど)

三貨制度(さんかせいど)とは、金・銀・銭(せん)の3つの貨幣(かへい)が使われる制度のこと。

金(小判)は主に江戸の町で使われ、銀は大坂の商人たち、銭(せん)は一般庶民が使っていました。

江戸時代が始まったころ、上記の三貨である貨幣(かへい)と米の2つが経済を支えていました。
しかし江戸時代後半になると重たいお米を使って取引することが減っていき、貨幣(かへい)が経済の中心になっていきます。

ちなみに銅ではなく銭(せん)なのは、江戸時代の最初はちゃんとした銅貨(どうか)でした。しかし年々銅が採れなくなり銅貨の質が悪化、江戸時代後半になると銅があまり含まれなくなり様々なものが混ざります。なので銭貨(せんか)と呼ばれ、銭(せん)と表記しています。

最初の銅貨から銭貨(せんか)に変化していったんですね

これは小判でも同じことが言えて、年々金が減っていくと小判に含まれる金の量が減っていきます。
江戸時代最初の小判と、江戸時代後半の小判ではその色が全く違います。

初期と後半で色が変わるのね、初期の小判は輝いてたのかしら?

わたしキティちゃんのキレイな小判が欲しい!

キティちゃんのキレイな小判?

えっとね~これ!キレイで可愛いのよ~

ちょっと豪華なプレゼントにも良さそうですね~

クマのおじさん買って~♪

えぇ!?ん、ん-と・・・次の話題に行きましょうか💦

金座、銀座、銭座(ぜにざ)

大判小判などの金の貨幣(かへい)を作るところが金座役所
銀の貨幣(かへい)を作るところが銀座役所
銭(せん)の貨幣を作るところが銭座(ぜにざ)または鋳銭司(ちゅうせんし)と呼ばれていました。

銀座?銀座ってもしかしてあの銀座かしら?

銀座ぼく知ってるよ!東京にあるんでしょ!

銀座行ったことあるよ~

そうです、日本で一番土地の値段が高いで有名なあの銀座です

江戸時代に銀座役所があったことから、その地名に銀座が使われるようになったんです。

ちなみに、東京日本橋にあった金座の跡地には日本銀行本店が建っています。
そして銭座(ぜにざ)の跡地の東京江東区には「亀戸銭座跡」という石碑(せきひ)・モニュメントが建っています

その日本銀行本店横の日本銀行分館内に「貨幣博物館(かへいはくぶつかん)」があります。
見学もできておすすめのお金に関係するスポットです。
千両箱の重さ体験や本物の小判が展示してあり入館料は無料です。

貨幣博物館 (boj.or.jp)

ゴミがお金になる江戸時代のリサイクル

江戸の街は、世界に誇る究極のリサイクル社会でした。

街のあらゆるところにさまざまな修理屋さんがあり、壊れたら治してまた使うが当たり前。
傘は何度も何度も再利用、溶けて垂れたロウソクのロウを集めてまた使ったり、溶けたロウを買ってくれる業者まで存在していました。

他にも庶民の服は全て古着であったり、女性の髪の毛もカツラとして利用する。
江戸時代水はとてもとても貴重だったので、井戸から汲んだ水もまず野菜を冷やし、次にお風呂その後も捨てず、着物やおむつを洗うそしてその洗った水も最後は畑にまいていたそうです。

水だけでなくあらゆるものを、徹底的に最後の最後まで使い切る。
とてつもないリサイクル社会が完成されていました。

江戸時代のお金まとめ

  • 金銀銅が採れなくなっていき財政難が続いていく
  • 三貨制度(さんかせいど)により経済のシステムが出来上がる
  • 金座・銀座・銭座(ぜにざ)で貨幣(かへい)を作っていた
  • 江戸時代、今ではゴミと呼ぶものがお金になる究極のリサイクル社会

明治時代以降のお金

ここからは私もご説明を

明治維新もお金の力により生まれた

強大な江戸幕府をどうやって薩摩(さつま)長州(ちょうしゅう)などの新政府軍は倒すことが出来たのか?

明治維新の成功もまたお金が非常に深く関わっています。

へえ~明治維新もお金の力なんだ~

明治新政府の中心となった薩摩藩(さつまはん・今の鹿児島県)と長州藩(ちょうしゅうはん・今の山口県)
この2つの藩は財政難をいち早く立て直し、外国の武器をたくさん購入し始めます。

特に薩摩藩(さつまはん)は、外国で綿が足りないと知ると日本中の綿花を買い漁りそれを海外に売って大儲けします。この時のお金(現在の価値で約6000億円)が明治維新の主な資金源となります。

しかし幕府を倒すとなるとこれだけのお金があっても足りず、薩摩藩も長州藩も大阪商人に借金をします。

たくさんのお金を使いそして借金までして薩摩藩と長州藩は幕府を倒します。

戦争をするにはお金がたくさん必要ですからね

一方の幕府も財政難で苦しんでいるうえに外国勢力の圧力が強まり、国内でも色々な考えの人たちが現れ大揉めする世の中になっていきます。

そして安政の大獄(あんせいのたいごく)や、桜田門外の変(さくらだもんがいのへん)などが起き、戊辰戦争(ぼしんせいそう)に発展し、多くの人たちが時代から去っていく戦乱の幕末になります。

この戊辰戦争(ぼしんせんそう)に、薩摩藩・長州藩・土佐藩(とさはん、今の高知県)・肥前藩(ひぜんはん、今の佐賀県と長崎県)などの新政府軍が勝利したことで明治維新が成し遂げられました。

この勝利の裏には、とんでもない額のお金が動いていたのです。

日本銀行と円の誕生

明治時代に入り日本銀行が設立され「円」という新しい通貨単位が生まれました。

そして現代ではおなじみの日本銀行券が作られます。

日本銀行券

この日本銀行と円を作った日本近代資本主義(きんだいしほんしゅぎ)の父と呼ばれる「渋沢栄一(しぶさわえいいち)」という偉人が、2024年から新1万円札の顔になります。

戦争と経済

明治維新を成し遂げた新政府は、西欧列強(せいおうれっきょう・アメリカやヨーロッパの国々)に追いつけ!と近代化・富国強兵(ふこくきょうへい)に突き進みます。

日本の国を近代化しどんどん発展させていきます。
それと同時に幕末、外国と結んだ不平等条約(ふびょうどうじょうやく・国と国との約束で日本側に不利な約束)の改正を第一の目標とします。

明治の偉い人達は日本に不利な条約の改正に一生懸命だったんですね

この不平等条約を改正するには力をつけるしかありません。
そのためにお金をたくさん使い軍事力を強化し勢力を拡大し続けます。

拡大し続けた結果、ロシアなど西欧列強と衝突するように。
この衝突に日本は一致団結(いっちだんけつ)し勝利していきます。

勢力を急激に拡大する日本は、アメリカなど諸外国からやっかいな国だなとにらまれることに。
そこで日本はそれまで味方だったアメリカイギリスオランダなどと手を切り、ドイツイタリアと組みます。

敵となってしまったアメリカはABCD包囲網(ABCDほういもう)を敷き日本の弱体化を狙います。

ABCD包囲網とは、アメリカが中心となり日本への石油と金の輸出をストップする経済封鎖(けいざいふうさ)、お金の流れを止めるというもの

包囲される日本

お金の流れを止められた国は破滅します、日本には2つの道しかありません。

アメリカに謝るか、アメリカと戦うか。

それまで日本は戦うと連戦連勝していましたので、強大なアメリカ相手にも戦う道を選んだのでした。

戦後の復興

ABCD包囲網でお金の流れを止められたまま戦う日本、さすがに勝ち目はありません。

日本は敗戦します。

戦後焼け野原となった日本の都市

この敗戦で日本はボロボロになりたくさんの借金も背負い、外国の人たちからこれで日本という国は終わったと言われていたそうです。

ところが戦後すぐに、東西冷戦(とうざいれいせん)という西側のアメリカ東側のソ連、新たな戦争が始まります。

この冷戦によりアメリカは、日本をアジアの拠点にする必要があると考え日本の復興に力を入れ出します。
元来の日本人の勤勉さもありみるみる成長し奇跡の復興へ。

ボロボロの焼け野原になった戦後からたった20年でアメリカに次ぐ世界第2位の経済大国に成長します。

その後も経済大国として大きくなる日本でしたが、今度はバブル経済が崩壊株や土地の値段が大幅に下落失われた30年などと呼ばれる時代になり今にいたります。

このあたりの現代のお話はまたいつか

明治時代以降のお金まとめ

  • お金の力もあり明治維新が成し遂げられる
  • 明治の偉人「渋沢栄一(しぶさわえいいち)」が日本銀行と円を作る
  • 近代化と富国強兵で勢力を拡大
  • ABCD包囲網によりお金の流れが止まり敗戦
  • 戦後の焼け野原から20年で奇跡の復興

現在の、1円玉・10円玉・50円玉・100円玉・500円玉・千円札・5千円札・1万円札作るのにいくらかかる?

2024年に千円札と5千円札と1万円札それぞれお札のデザインが変わります。
デザインが変わると欲しがる人が増えるため、最初の年はたくさん作ります。

そこで貨幣やお札を作るためにはどれぐらいのお金が必要になるのか?

政府が作るのに正確な金額を公表していないため、色々言われていますがおおよその費用は
2018年~2019年の金属の値段から

1円玉は約3円

10円玉は約10円

50円玉は約12円

100円玉は約15円

500円玉は約20円

千円札・5千円札・1万円札は500円玉と同じ約20円ぐらいではないかと言われています。

1円玉だけは作るたびに赤字で1つ作るのに3倍の約3円かかるんですね💦

20円で作られる「日本銀行券・1万円」と印刷されたが1万円の価値になるのは、日本という国がその価値を保証しているからです。

そして多くの人がこの「日本銀行券・1万円」と印刷されたには1万円の価値があると信用して使います。

この事を「信用貨幣(しんようかへい)」と言います。
これにより「お金」として成り立っているのです。

信用でお金として成り立ってるのね~

もしもこの信用が無くなると、日本銀行券・1万円と書かれた紙は20円かけて作ったただのになります。
そうなると何も物を買うことが出来ません。

政府が貨幣(かへい)やお札の原価を公表していないのも、その価値と信用を維持するためなのです。

他の国も日本同様、自国の通貨の信用を守るために頑張っています

まとめ

江戸時代に三貨制度(さんかせいど)が作られ、日本の貨幣(かへい)の原型が生まれます。

明治になり日本銀行と円が誕生信用貨幣(しんようかへい)が完成。

経済的に安定した日本は急激に勢力を拡大します。
しかし戦争で負けてしまい焼け野原に。

そこから奇跡の復興を果たし世界第2位の経済大国にまで成長。
経済大国になるもバブル経済が崩壊し今にいたる。

お金の歴史はここまで、次回は未来のお金「デジタル通貨(電子マネーと仮想通貨)」についてお話します

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

コメント

コメントする

目次