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【AI音声付き】親子で学ぶかんたんお金の教育vol.2「おかねの歴史後編」

親子で学ぶかんたんお金の教育へようこそ
今回は今のお金の形になるまでと日本の昔のお金のお話です

いつごろから今のようなお金になったの?

貝から今の形のお金に?ママわかる?

いつから?えっとね~~

私がお答えしましょう!

クマのおじさん~

目次

物々交換(ぶつぶつこうかん)から物品貨幣(ぶっぴんかへい)になりそして貝のお金に

まずかんたんに前回のおさらいと、付け加える話をしますね

自分の持ってる魚と相手が持ってる肉を交換する物々交換(ぶつぶつこうかん)をしていた時代。
そこから貝のお金が始まる前に物品貨幣(ぶっぴんかへい)という時代になります。

ぶっぴんかへー・・・?

物品貨幣(ぶっぴんかへい)とは、主に矢じり・籾(もみ)・砂金・布と自分が持ってる物(魚など)をまず交換し、それから自分が欲しい物と交換すること。

矢じりと籾(もみ)

砂金と布

矢じり・籾(もみ)・砂金・布が今のお金の役割をしていました。

その中に前回話しためずらしい貝(宝貝)があり、やがてその貝が物品貨幣(ぶっぴんかへい)の中で主流となっていきます。

宝貝(たからがい)

矢じりは壊れる寸前のものだったり、種もみとして使えない古い籾(もみ)
砂金の中に砂が大量にまじっていたり、質の悪いなど
こういったことがあり、めずらしい貝が物品貨幣(ぶっぴんかへい)の中心になりました。

布とかに交換する時代があって、次に貝がお金になる時代になっていくのね

時代が進み、その貝が物品貨幣(ぶっぴんかへい)の主流になると偽物を作ってしまう人が現れます。
最初はすぐに偽物とばれるのですが、徐々に精巧(せいこう)になっていきます。

今でいう偽札のことね

また貝なので落として割れたり壊れることもありました。

そこで当時の偉い人が貨幣(かへい)を自分たちで作ろうと考えます。
それが現代とよく似た金属(きんぞく)を使ったお金です。

余談ですが、文化人類学の研究により大昔「物々交換社会」というものはなく、物々交換はほとんど行われていなかった。最初から物品貨幣(ぶっぴんかへい)が行われていたという説が有力になっています。

研究がより進めば今後物々交換が完全に否定されるかもしれないですね

次からは私も解説させて下さい

金属(きんぞく)を使ったお金が生まれる

 物々交換
  ↓
 物品貨幣(ぶっぴんかへい)
  ↓
 貝の貨幣
  ↓

現在のお金の形に近い金属(きんぞく)のお金が誕生します

金属(きんぞく)の硬貨(こうか)が生まれたのは、金属(きんぞく)を加工する技術が発達したからです。

世界で一番古い硬貨(こうか)はエレクトロン貨と呼ばれるコイン。
エレクトロン貨は、金のほかに銀・銅・亜鉛(あえん)などを混ぜ作られていたことがわかっています。

エレクトロンとはギリシャ語で宝石の1つである琥珀(こはく)という意味です

その他にも様々な場所で色々な硬貨(こうか)・コインが古くから作られていました。

色々な古代の硬貨(こうか)

古代中国でも半両銭(はんりょうせん)と呼ばれる硬貨(こうか)が主に流通したとして知られています。

半両銭(はんりょうせん)は、銅(どう)80%、錫(すず)20%で出来ている青銅貨幣(せいどうかへい)で、青銅(せいどう)は硬くて非常に長持ちするので選ばれました。

現在の日本で使われている10円玉が、銅(どう)95%含まれる青銅貨幣(せいどうかへい)になります。

古代中国の硬貨である半両銭は、日本でも使われていたと言われています。

へえ~、じゃあ日本の昔のお金はどんなのだったの?

日本の昔のお金

日本では弥生時代の遺跡(いせき)で、中国から運ばれた半両銭(はんりょうせん)などの硬貨(こうか)が見つかっており、また平安時代には同じ中国の宋銭(そうせん)などの硬貨(こうか)が使われていました。

ただこの頃の日本人は物品貨幣(ぶっぴんかへい)が主流です

日本の昔の人たちも物品貨幣(ぶっぴんかへい)を行っており、主に米・布・塩が使われていたと言われています。
塩が主に使われていたのは海に囲まれた日本の特徴だと言えますね。

中でもお米は江戸時代までお金の代わりとして使われており江戸時代の税金と言えば年貢で、年貢の支払いにお米を使っていました。
そのことを年貢米(ねんぐまい)とも呼びます。

また武士に支払う給料にもお米が使われ、今でいう現物支給(げんぶつしきゅう)が行われていました

現物支給(げんぶつしきゅう)とは、お給料をお金の代わりに物品で支払うこと。

お米で税金を納める年貢制度(ねんぐせいど)は明治時代まで続いており、明治に入っても長年の制度がすぐに変わることなく地方ではお米で払う人たちがまだまだいたそうです。

年貢米を運んでいる町人

日本で作られる貨幣(かへい)が生まれるのは、金属の加工技術が日本に入ってきてからになります。
そこは次回以降に。

お米は、お金としての役割を明治時代になるまで担っており、日本のお金の歴史はお米が中心だったとも言えます。

日本人にとってお米は、お金として食べ物として非常に重要なものだったんですね

新入社員が会社に入ってすぐの時に言われる「新米」とは

新入社員が上司から「新米なんだからしっかり勉強しろよ」などと言われることがあります。

このときの新米というのは、新しいお米の新米とはまったく関係ありません。

江戸時代の商人は、新しい奉公人(新入社員)が入るとお仕着せ(おしきせ)と呼ばれる「着物」を渡していました。

今で言う制服です。

そのとき着物と一緒に「新前掛け(しんまえかけ)・新しい前掛け」を渡します。

これが「しんまえ」と呼ばれていて、呼びにくかったのか時が過ぎ「しんまい」に呼び名が変化し新米という漢字が当てられました。

どうでも良いけど知ってたらちょっと自慢できる雑学でした

いまどき「新米」なんて使う人いるのかしら?

まとめ

物々交換(ぶつぶつ交換)の時代→物品貨幣(ぶっぴんかへい)の時代→貝の貨幣(かへい)の時代。
そして加工技術の発達で金属の貨幣(きんぞくのかへい)が生まれました。

昔の日本でも物品貨幣(ぶっぴんかへい)が行われており、主に米・布・塩が使われていたそうです。
中でもお米は、明治時代になるまで使われており日本人の生活には切っても切れない関係に。

それではまた次回お会いしましょう

次回は日本のお金の歴史についてお話します

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