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【AI音声付き】親子で学ぶかんたんお金の教育vol.3「日本のお金の歴史前編」

親子で学ぶかんたんお金の教育へようこそ
今回は日本のお金の歴史のお話です

日本の昔のお金って小判(こばん)でしょ?

小判(こばん)があるなら大判(おおばん)もあったのママ?

え、えーと小判(こばん)は江戸時代に使われてて・・・ん~

私がお答えしましょう!

クマのおじさん~

目次

日本はいつからお金が使われだしたのか?

まずは簡単に前回のおさらいを。
大昔の日本は、主に中国で作られた硬貨(こうか)・コインを使っていたと言われています。
基本的には米・布・塩を使った物品貨幣(ぶっぴんかへい)が主流なので、硬貨(こうか)はそれほど使われていません。

物品貨幣(ぶっぴんかへい)とは、米や布などをお金の代わりに使って物を買うこと。
くわしくは前回の「おかねの歴史後編」を読んで下さい。

昔の日本では、お米と布と塩はとてもとても大切にされていました

時が流れ、ものを作る技術が日本でも発達すると中国の硬貨(こうか)を真似て作った無文銀銭(むもんぎんせん)が生まれます。

無文銀銭は日本で作られた一番古いお金・硬貨(こうか)と言われていますが、みつかった地域が近畿地方(きんきちほう)のみで数も少なくまた無文(文字も何も入っていないもの)で、形や大きさも違っており「お金」と呼べるのか?という意見もあります。

なので、当時の偉い人により公式に作られたお金で一番古いのは

富本銭(ふほんせん)と和同開珎(わどうかいちん)

になります。

以前は西暦708年に作られた和同開珎(わどうかいちん)が一番古いとされていました。
しかし今では、西暦683年ごろに作られたとされる富本銭(ふほんせん)が見つかりこちらの方が古いとされています。

西暦683年は天武天皇(てんむてんのう)の時代なのでかなり昔ですね

天武天皇とは第40代天皇で、「日本」という名前を正式に決め(それまでは大和や倭と呼ばれていた)、また日本書紀と古事記を作ろうと決めその後の日本に大きな影響を与えた天皇。
ちなみに室町時代までは、日本と書いて「ひのもと」と呼んでいた。

話は戻り富本銭ですが、あまり流通はしておらず、流通を目的とした日本初の本格的な貨幣(かへい)は和同開珎だと言う専門家もいます。

富本銭は、お守り的なものだったという話があり結論がでていません。
偉い人などのお墓に「あの世に行っても困らないため」と一緒に入れる「まじない銭」だったのではないか?という説もあります。

せっかくの日本初の貨幣(かへい)も材料不足でストップ

順調に普及し始めた和同開珎(わどうかいちん)などの日本の硬貨(こうか)

ところが貯めこむ人がでてきます。
貯めこむと流通がストップし、流通が止まるとお金の意味が無くなります。

お金の流通量が減るとますます貯め込もうとする人まで

数が少なくなってくると欲しくなるのわかる~

流通をストップさせないためにはどんどん作らないといけないのですが、肝心の材料である銅が不足してしまい質が悪くなっていきます。

質が落ちた結果お金としての信用まで失われました。

お金として信用が無くなると、誰もその硬貨・コインを受け取ってくれません。
誰も受け取らないので何も買えなくなってしまいます。

そうして西暦958年に作られたものが最後となり発行がストップ

物品貨幣(ぶっぴんかへい)の時代に逆戻り

貝を使い魚を買う人

日本でお金が再び作られるのは、ストップしてから600年後の戦国時代までかかります。

そんなにも長い間日本ではお金が作られなくなったのね

へえ~、そうだったんだ~

ここからは私も解説させて下さい

各戦国大名により本格的なお金作りが再開

日本での貨幣作りが再開したのは

群雄割拠(ぐんゆうかっきょ)する戦国時代

この時代、各地域を支配していた戦国大名による合戦があらゆる場所で行われます

そんな厳しい時代を生き抜くためには、軍資金が必要となります、戦うための費用・お金です。
軍資金として主にお米が使われていましたが生産に限界があります。

戦うために軍資金がたくさん必要だったんだ

そこで戦国大名たちは山を掘って鉱物(こうぶつ)を採掘(さいくつ)しそれを売って軍資金を手に入れます。
金が採れる山なら金山、銀なら銀山などと呼ばれ金山銀山を開発し多くの軍資金を手に入れることが大切な要素となります。

金山

織田信長・豊臣秀吉・徳川家康、武田信玄に上杉謙信、毛利元就や伊達政宗など有力大名たちは鉱山の開発にかなり力を入れていました

織田信長

金じゃ!銀じゃ!掘れ!もっともっと掘るのじゃー!

えっ!?織田信長!?

日本で初めて体系的に整備された貨幣制度が誕生しそれに使われた金貨

各戦国大名は、鉱山から採れた鉱物を使い領内で使える独自の貨幣を作り始めます。

中でも領内に大きな金山を持つ武田信玄が採掘技術(さいくつぎじゅつ)を向上させ金をたくさん採りだします。
そうして1567年、武田信玄によって作られたのが本格的な金貨の「甲州金」です。

本格的な金貨「甲州金」のレプリカが、南アルプス市のふるさと納税で手に入れることができます。

上手く甲州金の再現ができていますね。

純金なので10年後20年後の価値はどうなっているのでしょう?
しっかり保存できる専用ケースに入っており綺麗な状態で保てます。

この甲州金をお手本とし徳川家康により作られたのが小判(こばん)です。
小判(こばん)があるなら、もちろん大判(おおばん)もあります。
小判と大判は大きさが全然違いました。

大判は主に贈答用(ぞうとうよう)に使われ一部の大金持ちしか持っていなかったそうです。
江戸時代の商人が使用するのはほとんど小判だったそうな。

甲州金を作った武田信玄は、同時に日本で初めてとなる体系的に整備された貨幣制度(かへいせいど)も作ります。

貨幣制度(かへいせいど)とは、国が国内に流通するお金を管理しお金の単位やその作り方も決めること

武田信玄が作った日本初の貨幣制度(かへいせいど)は、徳川家康が引き継ぎ江戸時代でも使われます。

武田信玄ってすごい人だったのね~

あと10年生きていれば、織田信長ではなく武田信玄が天下を取っていたという話も。
甲州金を作り日本の貨幣制度(かへいせいど)を初めて作った信玄は亡くなり、その後武田家は滅亡します。

そしてお金の知識がある武田家の家臣たちを吸収した織田信長や徳川家康が、有力大名として大きく成長していきます。

織田信長

信玄公さまさまじゃ

富本銭は「開運!なんでも鑑定団!」で出品されたことが

2012年1月31日放送の開運!なんでも鑑定団|テレビ東京 (tv-tokyo.co.jp)に富本銭(ふほんせん)が登場します。
依頼者は2万円で入手したのですが、鑑定結果は本物だと判明しなんと

1000万円!!

という金額に・・・。

本当に本物か!?字体がおかしい!などと当時かなりネットで話題となります。
この放送がきっかけで富本銭を知ったという人も多くいたそうな。

2万円が1000万円!?うらやましいわ~

これが話題となりその後たびたび富本銭がなんでも鑑定団に出品されます。
2016年11月1日放送分のお世話になったお礼にと頂いた富本銭、2019年7月16日放送分の欠けた富本銭や2020年11月3日放送分のかなり古そうな富本銭などなど。

2019年の回は100万円もの大金で入手したものが・・・。
2016年の回も2020年の回も期待通りの評価には・・・。

1000万円の価値があると知った悪い人が作ったんですかね?偽物にはくれぐれもご注意を💦

まとめ

日本の古いお金には無文銀銭(むもんぎんせん)と富本銭(ふほんせん)と和同開珎(わどうかいちん)があります。
その後も作られていくのですが、お金の材料となる銅が不足し質の悪化と同時にお金としての信用も失うと、当時の偉い人は作ることを止めてしまいました。

そして戦国時代になり、武田信玄などの戦国大名によって本格的なお金が作られ、日本の貨幣制度(かへいせいど)の基本的な仕組みも生まれます。

ここまで読んでいただきありがとうございました
それではまた次回お会いしましょう

次回は織田信長豊臣秀吉そして徳川家康がお金と経済をうまく利用したお話です

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